生物・化学研究者が興味あることを語る

スマートに、クリエイティブに

古代や未来の人間が羨ましくなるこの頃

 

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今回はただの僕の思いを語ります。嫉妬に近いです(笑)なのでだいぶ砕けた文章になりますがご了承ください。

今の現代を生きる人々と、むかーしむかしに生きていた人間と、遠い未来に生きる人間とは、当たり前ですけど思想や文化や考え方や行動などが異なってきますよね。その環境次第で。ある程度ヒトという種依存的な偏りはあったとしても。

なので当然住む時代・場所によって人々の幸福度的なものは違ってくると思うんですよ。例えば一日食べ物にありつけるかありつけないかで頑張っていた古代の人々よりも現代に生きる我々の方が幸福だ とかね。

そして僕は思うんです。現代に生まれるより、過去や未来に生まれたかったなと。地球を冒険するには遅すぎ、宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれてしまったなと。

具体的な年代は正直分かりません。科学なんてものの萌芽も見せていない時代へ。それは空の青さや夜になるとこつ然と現れる無数の空の光る点などに思いを馳せ、海の広さと深さに胸を打たれる そんな時代(そんな余裕が当時の人にあったかは分かりません)。まあ奴隷制をとっていて時間もあった古代ギリシャあたりが一番羨ましいのかな。当然その素晴らしい環境が所以でそこで科学と哲学が生まれるわけだし。

または、科学が更に、そして更に発展して、宇宙を自由に旅できるようになった時代。それは、宇宙空間にある無数の未だ人類が出会ったことのない物に出会える時代、それは計り知れないほど知的好奇心を震わせ、人をそれに駆り立てるでしょう。

 

でも、それは隣の芝生が真っ青に見えているだけなのでは?という指摘はまったくその通り。これは現代という時代をある程度生きてしまったがために、現代と比較してものを語れるようになってしまった ということに起因すると思います。

当然古代しか生きていない人は、現代を希求していたかもしれません。徒歩一分で食べ物が豊富あり、本が読め、テレビがみれる時代ですから。

当然遠い未来しか生きていない人は、現代を希求するかもしれません。宇宙に希望なんてものはなかったと。完全ではないが、絶望しかなかったと(開拓やフロンティアの前進には必ず争いが付きまといます)。そんな風に思っているかもしれません。

 

まあでも何が言いたかったかと言うと、先に挙げた「地球を冒険するには遅すぎ、宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれてしまった」

ということです。

事実、もう我々は、深い海底や森などを除いて地球上に開拓すべき場所を持っていません。そして生きているうちに、宇宙を縦横無尽に動き回るのは不可能です。そんな時代に生まれてしまったことを嘆きたい、そんな気分に今日はなってしまったのです。