グレート・ギャッツビー(The Grate Gatsby)を読んでみて
おはようございます。
今回は、1925年に書かれた、スコット・フィッツジェラルド作、グレート・ギャッツビーについてです。
この作品は特にアメリカを含む世界中で熱狂的に支持されており、Modern Library's 100 Best Novels(英語で書かれた20世紀の小説が対象です)で2位を獲得しています!
そんなグレート・ギャッツビーは日本では、あの村上春樹が最も影響を受けた作品であるとことあるごとに自ら表明しています。
しかし、日本の読者の中では、割と多くの人がどこがいいのか分からない・・・ という感想を持っていると良く聞きます。
僕自身この作品は20歳近いときに読んだのですが、深く心に残るほど感無量感(なんと形容していいかわからない)を得た覚えがあります。
そんなグレート・ギャッツビーのどこが少なくとも僕的はよかったか、それを語っていきたいと思います。
続きを読む生物学の素晴らしいところ
こんにちは。
今回は、まあ特に分子生物学になっちゃうんですが、生物学の魅力を少しでも伝えられたらなということで、生物学についてです。
みなさんは生物学好きでしょうか。
僕が思うにそんなに好きな人って多くはないと思うんです。
一般的に進学校では生物を選択する人が非常に少ないことからもそれは言えるんじゃないかな。かくいう私も厳しい受験競争を勝ち抜いた経験がありますが、その中には生物の「せ」の字もないんですね(笑)
そんな僕が結局は生物学の研究者になっているということは、深く知ってみれば、考えてみれば面白い!!!ということなんですよ。
その魅力を短くはありますが、語ってみようかと思います!
とはいえ完結に一言で言ってしまえば・・・・・
分子生物学がめちゃ面白いしすごい!!!!
ということなんです。詳しく説明していきますね。
まず分子生物学というのは、生物学を分子レベルで追及していく学問なのです。分子というのはナノメートル(メートルの10億分の1)程度のスケールですからその小ささはすごいものです。当然目では見えませんし、光学顕微鏡でも見えないレベルです!
そんな小さなものから私たち生物は成り立っていて、その小さなものひとつひとつを研究し、最終的には生物全体を理解しようという学問なのです!!!!
つまり進化というシステムを使って発明されてきたシステムをただただ愚直にひたすらに見つけていく学問なのです。
他の学問と違って、私たち自身の体や精神について知ることができるというのは非常に興味をそそられるものではないでしょうか。例えば、なんで病気になるのかとか、なんで今私はふさぎ込んじゃっているんだろうとか、なんであんな行動を起こしたんだろうとか、なんであの人はハンサムな顔立ちに生まれてこれたんだろう とか!!!
DNAを編集して枯れにくい作物や、最終的にはマッチョでハンサムまたはナイスボディで綺麗な 人間を作り出してしまえる。そんなの未来の話 と思うかもしれませんがそのような技術の基盤は既に確立されています!倫理的な問題はありますが、それもいくらか年月が経ち文化と考え方が変わればやがて受け入れられるでしょう。
そんなことひっくるめて明らかにして行ける(まだまだこれからの話ですが・・・)学問なのです。
//あまり知られていないようですが、分子生物学は人類学にも使われています。2万前とかの人の骨からDNAをとってきてそれを解析することで、その人間がどこから来たのかどんな風に生活していたかわかるのです。
生物学では何が分かるか のほんのほんの一握りだけ挙げさせてもらいました。
もし一つでも解明したいと思ったら生物学を志す資格はあります!!!
ではでは
大好きなMr.childrenについて。新曲「ヒカリノアトリエ」。
こんにちは。
今回は僕が昔から大好きなMr.childrenについてです。
まあ、ミスチルが好きなんてのは没個性であるくらいたくさんのファンに支持されていますし、特にどこどこが良い!みたいなことを語るつもりはありません。
ただ一つ言えるのは、ミスチルだけでなく多くの人に支持される芸術というものは、その作成者の天才性に所以があります。
その天才性とは、世の中の多くの人の気持ちを理解でき、それを適切な表現技法で発信できることです。
僕はその天才性を持ち合わせていないのですが、多くの人が様々な芸術の道半ばで破れる中、天才性を持ち合わせた人はそれらをバトンパスのように引き継いでいき、心に響くメロディや筆遣いで表現しているのだと思います。
さて、先日Mr.childrenは新曲のヒカリノアトリエをリリースしました。
この曲からは、非常に前向きに今を生きていく というメッセージを受け取りました。
下ばかり向いていたら、虹を見逃してしまうだろう というのはどこか上を向いて歩こうと似ています。
僕がその曲を聞いていて感動したのは、僕自身、「今を生きる」というのが人生の指針の一つであるからです。やはりこういうところでも人々の共感を得ていきます。
過去は消えず、未来は見えず。
結局僕らは消えない過去から未来を頑張って予測しようとしますが、一番大事でかつそこにあるのは"今"なんですね。
ただし、非常に難しい。この曲のように前向きにいつも生きていられたらどれだけいいか・・・
慰めとして思いたいのは、下を向いてばかりでもたまには虹が見える のかもしれません・・・ ということです。
それが例え漏れ出たガソリンの水たまりに混じるが如く、汚い生まれ方であっても。
京騒戯画を見て。オープニングの歌詞が心に響いた。
こんにちは。
僕はルーティンというのは非常に大切だと思うんです。毎朝同じ時間に起きて同じくらいの苦さの同じくらいの量のコーヒーを同じくらいの時間をかけて飲み干す。
ルーティンってのは思考停止でもありますが、その分創造できるんですね。感覚的に。だからやっていることは毎日同じでも、毎日全然違うんです。当たり前か。
とまあ、何が言いたいかと言えば、僕は二日に一度筋トレをしているんです。かれこれ何年も。一度見についた習慣は、やらないとなんかムカムカしてきちゃうんですね。歯を磨かずに寝床に入ってしまった時みたいに。
そんな風にこのブログも書けたらなって。そんな風に思っています。良い気分転換になるしね。
さてさて前置きが随分長くなってしまいましたが、今回のテーマはマニアックです(笑)
5年ほど前に放送されたアニメ「京騒戯画」というものについてです。
このアニメはストーリーはそこそこ複雑で、だいぶ神話的というか哲学的というかそんな要素を含んだ、ある意味大衆受けしそうにはないかなと僕は個人的に感じている作品です。
このアニメではたくさん良いセリフが出てきたりするのですが、その中で一番僕が好きな言葉はなんとオープニングの曲の歌詞なんですね(笑)
オープニングはたむらぱんさんという方による「ココ」という作品です。
一番好きな言葉は、その中でも二番のサビ!
「もう必死になりたくない いい加減になれるなら本当に最高 でもココロは真面目になってく」
この歌詞を初めて聞いたとき、僕自身けっこう忙しくてきつかったんです。でもそのきつさは自分で選んだものだったんです。だからしんどくても、自分自身に愚痴も吐けないし、変な話本当のきつさではなかったと思うんです。つまり他人に強いられたきつさではなかったわけですから。でも内面にもやもやっとしたものを持ちながら生きていたわけです。
その僕の内面に空いた空虚なスペースを満たしてくれたのがこの言葉だった。自分の感情や気持ちを言葉で表現するのは本当に難しいことです。だからこそぴったりな言葉を思いついたときや、知った時は本当に感動があります。僕はその内面を埋めてもらったおかげでもやもやが晴れました。すごいことです。現実的な環境は何も以前とは変わっていないにもかかわらず、言葉の一つで現実の捉え方は変わります。
結局この言葉は僕の人生で大好きな言葉の一つになりました。
僕的にはぜひ京騒戯画を見てほしんですが、時間もかかると思いますので、是非ともココだけでも聞いてもらえたらうれしいです。
ではでは。
覚せい剤、あなたは見たことがありますか?裁判傍聴記録!
どうも。ちょうど二日に一回のペースで記事書かれてますね。無意識なのですが、今後もそのぐらいのペースなのではないでしょうか。
今回は覚せい剤についてです。
みなさん覚せい剤を実際に見たことがありますか?
いや実際見たことあったらやばいだろ(笑) そんな風に思う方も多いかもしれませんが案外誰でも簡単に「見る」ことはできるんです。
それがみれるのはお近くの裁判所です!
僕は裁判を傍聴するのが大好きです。なぜかはよくわかりませんが、昔は世界中あらゆるところで裁判やその刑の執行を囚人監視のもと行っていたと言いますから、昔から人はなにかしらの理由で引き付けられるんでしょうね。
おそらく理由としては、非日常を味わえるから、自己への戒めとなるから、自分よりもいわゆる「悪」を見ることで相対的に自分を「善」として挽回できるから みたいなところでしょうか。まあざっくり言えば他人の不幸で飯がうまいみたいな最低だけどみなにある程度共通してしまう人間心理はあると思います。
そんな裁判の傍聴に僕は初めて、友人に連れられ行ったんですね。
最初の事件は覚せい剤所持、初公判でした。
ちなみに裁判を初めて傍聴する際は、初公判がオススメです。被告人の生い立ちや今回の事件になぜ至ったか、証拠品の提出など最初からやってくれるので事件の全貌と裁判の進行方法がよくわかります。
ある程度裁判が進み、被告人は二回目の逮捕だと分かったあたりで、証拠品の提出始まり。
検察側がジップロックみたいなものに入った、みなさんご存じ白い粉をピラピラ見せ始めたんですね。
裁判というのは場所にもよりますが、結構見物人と近い距離でやっとりますので、だいーぶよく見えます。
僕は、薬学系のラボにいたこともあったのですが、さすがにガチの覚せい剤は始めて見ましたね。ただの白い粉なので特に感動もないですけどね(笑)
まあ、もし興味があれば無料で一切個人情報開示せずに裁判は気軽に傍聴できますので是非行ってみてください。
そんな覚醒剤、注射針でさしたり、あぶって吹かすみたいなイメージがあると思いますが(少なくとも自分はそんなイメージでした)、海外ドラマの「Breaking Bad」というのが僕は大好きでした、その中で覚せい剤の一番ぶっ飛ぶやり方は、高純度の覚せい剤の塊を粉々に割って、鼻から吸うんだそうですよ。
もし機会があればみなさんお試しあれ(だめです)。
またまたちなむと覚せい剤はよく尿検査で、陽性だああああああ とかやっていますが実は髪の毛からも検出できたりするんですよ。メタンフェタミンとかね。
だから髪の毛がない人は、ほんのすこーーーしだけ証拠隠滅できるかもしれませんね(笑)
以上
古代や未来の人間が羨ましくなるこの頃
今回はただの僕の思いを語ります。嫉妬に近いです(笑)なのでだいぶ砕けた文章になりますがご了承ください。
今の現代を生きる人々と、むかーしむかしに生きていた人間と、遠い未来に生きる人間とは、当たり前ですけど思想や文化や考え方や行動などが異なってきますよね。その環境次第で。ある程度ヒトという種依存的な偏りはあったとしても。
なので当然住む時代・場所によって人々の幸福度的なものは違ってくると思うんですよ。例えば一日食べ物にありつけるかありつけないかで頑張っていた古代の人々よりも現代に生きる我々の方が幸福だ とかね。
そして僕は思うんです。現代に生まれるより、過去や未来に生まれたかったなと。地球を冒険するには遅すぎ、宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれてしまったなと。
具体的な年代は正直分かりません。科学なんてものの萌芽も見せていない時代へ。それは空の青さや夜になるとこつ然と現れる無数の空の光る点などに思いを馳せ、海の広さと深さに胸を打たれる そんな時代(そんな余裕が当時の人にあったかは分かりません)。まあ奴隷制をとっていて時間もあった古代ギリシャあたりが一番羨ましいのかな。当然その素晴らしい環境が所以でそこで科学と哲学が生まれるわけだし。
または、科学が更に、そして更に発展して、宇宙を自由に旅できるようになった時代。それは、宇宙空間にある無数の未だ人類が出会ったことのない物に出会える時代、それは計り知れないほど知的好奇心を震わせ、人をそれに駆り立てるでしょう。
でも、それは隣の芝生が真っ青に見えているだけなのでは?という指摘はまったくその通り。これは現代という時代をある程度生きてしまったがために、現代と比較してものを語れるようになってしまった ということに起因すると思います。
当然古代しか生きていない人は、現代を希求していたかもしれません。徒歩一分で食べ物が豊富あり、本が読め、テレビがみれる時代ですから。
当然遠い未来しか生きていない人は、現代を希求するかもしれません。宇宙に希望なんてものはなかったと。完全ではないが、絶望しかなかったと(開拓やフロンティアの前進には必ず争いが付きまといます)。そんな風に思っているかもしれません。
まあでも何が言いたかったかと言うと、先に挙げた「地球を冒険するには遅すぎ、宇宙を冒険するには早すぎる時代に生まれてしまった」
ということです。
事実、もう我々は、深い海底や森などを除いて地球上に開拓すべき場所を持っていません。そして生きているうちに、宇宙を縦横無尽に動き回るのは不可能です。そんな時代に生まれてしまったことを嘆きたい、そんな気分に今日はなってしまったのです。
小説家を目指す人へ。小説の書き方とは?ポイントは3つ!!!
今回は「小説」について、とくに純文学についてです。
小説の起源というと私の知識内では定かではありませんが、17世紀か18世紀あたりにヨーロッパで書かれ始めたという印象です。あの有名な「ドン・キホーテ」や「ロビンソン・クルーソー」などもこの時期です。
みなさん小説といえば一度くらい書こうと思ったことがあるのではないでしょうか。そんなことは一度もない という人でも頭の中で物語を空想したことはあるでしょう。小説は誰でもとっかかりやすく簡単に書き始めることができますが、一番難しいのはそれを「終わらせる」ことだといわれています。広げた風呂敷をどうまとめていくかということですね。
漠然と書いても良いものは書けませんし、物語を終わらせることもできません。これから3つのポイントを軸に「小説の書き方」をお伝えしたいと思います。
※なお、この内容はかつて小説家を目指していた私と、小説家である友人の考えです。
3つのポイントのうちまず一つ目
1.小説の内容
そもそもみなさんは小説のどこに面白さや心地よさを感じているでしょうか?僕は大部分を占めるのが内容つまりストーリーだと思います。良い物語は私たちの時間を忘れさせるほどに、その小説にのめり込ませます。
それでは、どうやって内容を考えていけばいいのでしょうか。
まず、芸術一般の話ではありますが、それが世に広く受け入れられ認められるには、人々の「共感」が不可欠です。ただ自分の書きたいものを書くというのでは、単なる自己満足に過ぎません。人間というものが何を欲しているのか、何に喜ぶのか、それを探って、それを表現していく孤独な作業が芸術です。
そして多くの場合、人間に普遍的な好みの傾向というのは「無意識」の層で決まっています。ここでいきなり「無意識」というものを持ち出して申し訳ないのですが、説明するには必要なのでご了承ください。(詳しくはユングやフロイトの精神医学などを学ばれればと思います。)
人には大まかに「意識」と「無意識」があります。「無意識」とは普通我々が感じ取れない部分ではありますが(夢などには出てくると言われています)、意識よりもはるかに我々の行動や傾向にかかわっています。そんな「無意識」には個性を無視した人類普遍的(時空を超えて通じる)な性向が隠されています。
芸術とはそれを「無意識」から探り出してきて、みなが読めるように、聞けるように、味わえるようにしたものだと私は思っています。具体例として古代の神話や絵にはまったく異なる時代異なる場所・人種が生み出したにも関わらず、ひどく類似しています。
つまり小説の内容というのは、個人的意識の層よりも奥深くにある無意識の、それも集合的無意識の層から湧き上がってくるまたは探り出した不定形のものを文章にしていき生まれるのです。
そんな抽象的なこと言われても・・・・という声が聞こえてきそうですが、私からの具体的な提案があります。
なんとなく自分が好きなものを集めてきてその共通項を探してみてください。それはどんなささいな要素でも構いません。
また過去の自分の行動で、なぜそのような行動したのかいまだに分からないような出来事を思い出してみてください。自分の過去の行動への疑問をメタファーを駆使して個別的な事例からより一般的にしていくという方法もよく小説を書く上でとられると思います
これらは全て無意識による影響を深く受けていますので、それらを自分個人で考察することで、より普遍的なものへのスタートに使えるかもしれません。
2.形式
形式というのは小説の構成や、進め方のことを言います。
実はこの形式というのはある種「正解」のようなものがあると私は思っています。それは起承転結と日本語にもあるように、過去の文学や映画、劇などにおいて共通している形式があるからです。
この正解のようなものについてはまた後日別記事で書くかしたいと思っています。
とはいえ最初から起承転結すべて計画して書くのは控えた方がよいと思います。なぜならそのようにして書かれた作品は作者の頭の中を上回ることがないからです。
つまり、私は走りながら考えるように、書きながら考える、ある種自分を殺して手に任せて書いてみることを提案します。それは無意識からの呼び声をそのまま小説に写し出すことにもつながります。
そうすることで、登場人物が作者自身予想しなかった動きをしたり、予想しない着地点に物語が落ちるようになるのです。ある場面である登場人物はなぜこのような動きをしたのか という問いに対して作者自身明確な解が出せないような作品の方が深みが出てくると言っているのです。
3.文体
最後に文体です。
文体をなめてはいけません。どんなに面白い内容であっても文体が悪ければ頭にすんなり話が入ってこなかったり、読んでいて止まってしまうことがあるでしょう。
文体はどう確立していけばいいのか?というとそれは正直わかりません(笑)ただ重要なことは、「自分のスタイルを確立する」ことです。これには、たくさんの文章を書くことが必要です。自分で文章を書いてみて、少しでも違和感などを感じたら同じ内容を違った風に書き直してみる。それで一番しっくり来たものが自分スタイルです。
とはいえいきなり文章を書いていてもスタイルを確立できる頃には多くの時間が流れています。そこでオススメしたいのは憧れの小説家などの文体を少し真似して書いてみると書き始めやすいと思います。それから後は自分の好み通り書き直していけば、自分オリジナルが出るはずです。
以上3点に絞って、小説、特に純文学についての書き方を書かせてもらいました。非常に抽象的な話になってはしまいましたが、小説を書こうかどうか迷っている方などには一番初めに頭に入れておいてもらえると、これから小説を考えるうえで役に立つのではないでしょうか。